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聖書より

 投稿者:onesimo  投稿日:2011年 2月17日(木)17時32分22秒
  遠くから、主はわたしに現れた。

「わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し

変わることなく慈しみを注ぐ。」 エレミヤ31:3

http://blog.goo.ne.jp/kagayakuegao/e/3bda727a2bc2c2a82072507ca852cfde

 
 

ありがとうございます。

 投稿者:風花  投稿日:2006年 7月28日(金)09時16分59秒
  紅花さん

私もネガティブモードの時は、同じように思ってました。
主人に『ずっとこのままやったら、俺が壊れてしまう』と言われた事もあります・・・。
けれど、ブログにも書いたように、少しずつ少しずつコップを補強していき、受け皿である主人の負担も少しは軽くなってきたと思います・・・。

私も誰の「心のコップ」にもキズが入っていると思います。
完璧な人なんてどこにもいないのだから・・・。

私は、少しでも誰かの「受け皿」になれればいいなって思いながら、自分の想いをブログに書いてきたので、紅花さんにそう書いて頂いて、嬉しいと同時に、恐縮する想いで一杯です。
紅花さんも、ちゃんと誰かの「受け皿」の1つだと思います。
現に私の「受け皿」の1つになってくれましたから☆

「受け皿」という言葉に、あまりいい意味を感じない人もいるだろうし、上手く伝わるか不安だったのですが、紅花さんに素敵といってもらえて、嬉しかったです。
ありがとうございます。

http://plaza.rakuten.co.jp/kazahana777

 

いいイメージですね ~ 受け皿 

 投稿者:紅花  投稿日:2006年 7月26日(水)02時04分7秒
  風花さん

レスどうもありがとうございます。
風花さんが時々使う、「受け皿」のイメージ、素敵ですね。

私は、ネガティブ・モードの時は、「受け皿のほうも疲れて、ひびが入ったらどうしよう(そうなったら、私のせいだ・・・)」と勝手に心配してしまったりします。でも、風花さんがブログで書かれているように、人は、皆、誰かの受け皿になっていると考えれば、いいんですね。

もしかしたら、全くキズの無い「心のコップ」を持っている人なんて、一人もいないのかもしれません。 人によって、キズの大きさや深さに違いがあるだけで。

大人になってから時々思うのですが、子供の頃の私(や弱い立場の人間)に酷い言葉を投げかけてきた母(や親戚たちの一部)こそ、私が知らない深いキズを心に負っていたのかもしれません。精神状態が落ち着いているときは、こういうふうに相手を思いやることもできるのですが・・・。

今度、また、様々な想いがこみあげてきたら、心の中で母と対話してみます。

To U 、いいですね。 ブログに書いてあった「チキンライス」も好きです。

私のとりとめのない気持ちを受け止めてくださって、どうもありがとうございます。
私の受け皿の一つになってくれた風花さんのように、私も、誰かの受け皿になれればいいな。
 

悲しい昨日もいつか微笑みに・・・。

 投稿者:風花  投稿日:2006年 7月24日(月)10時15分58秒
  >紅花さん
江原啓之さんがTVで『亡くなった人にお説教をしてもいいんですよ』と言われていました。
紅花さんも亡くなったお母様に色々な想いをぶつけてもいいと思います。
たとえ一方通行だとしても、自分の気持ちをぶつけることで、浄化できることもあるかも知れません・・・。

私も自己肯定はなかなか出来ません。
ただ、主人に『お前がお前を好きでなかったら、そんなお前と結婚した俺はどうなるの?単なるアホか?』と言われて、少し変わってきました。

心に傷をもっている人は、心のコップがひびわれていて、いくら水を注いでも一杯にはならない。
だったら、ひびを治せばいいと思うけれど、そのひびもどこに入っているのかわからない。
いつまでたっても、水を飲み干すことが出来なくて、満たされない想いを抱えている・・・。
でも、そのコップの下に「受け皿」をおけば、もれた水を受け止めることが出来る。
その「受け皿」にたまった水を飲めば、とりあえずはのどの(心の)渇きが埋められる。
今はとりあえず「受け皿」で水を受け、いつか自分のコップで水を飲むことが出来るように、少しずつコップを補強していく・・・。
今は立ち止まっていたとしても、いつかはまた歩き出せる・・・。
明日が来ないことなどないのだから・・・。

bankbandの「to U」という歌の歌詞のサビです。
『悲しい昨日が涙の向こうでいつか微笑みに変わったら
人を好きにもっと好きになれるから頑張らなくてもいいよ
今を好きにもっと好きになれるからあわてなくてもいいよ』

頑張らなくても、あわてなくてもいいです。
いつかきっと、微笑むことが出来る日がくるはずです。
だから、今はゆっくりあわてず生きていきましょう。

http://plaza.rakuten.co.jp/kazahana777

 

自己肯定できない

 投稿者:紅花  投稿日:2006年 7月21日(金)10時53分10秒
  前に一度、ブログの方に書き込ませていただいた紅花です。

時々、昔のことを思い出して割れるように頭が痛くなるんですが、
今日はちょうどそんな日です。

とにかく、母に否定ばかりされてきたという記憶しかありません。
私の進路だけではなく、友人づきあいにまで口を出す。
私が家の手伝いをすれば、必ず何かあらを探してケチをつける。

親戚にもこのような行動をとって人より優位に立ちたがる人々がいるので、
母もきっと普通にそうしていただけなのでしょう。

でも、そういうふうに文句を言われるのは、姉妹でも私だけ。
「子供を甘やかせてはならないから、誉めない」と私にははっきり言っていました。

二十歳頃、自分と両親(特に母)との関係がお互いの精神状態によくないのでは、
と気付いてから、母に「カウンセリングに一緒に行こう」と言ったことがあります。
彼女の答えは、「私(の子育て)は間違っていない」「親のせいにするな!」。
ぎゃあぎゃあ大変だったので、その話はお流れになりました。

それから十年近く経って、自分でもそれなりに自立できたと思った矢先に、
様々なストレスから、母と肯定的な関係を築けなかったことを思い出し、
鬱病になってしまいました(今は大分、好転しています)。

実は、母は、数年前に亡くなってしまいました。
ですから、今となっては、母との関係を改善することも、
お互いにお互いを受け入れあうことも、できません。

母は、社会的には申し分のない立場まで上り詰めて、仕事的には人々に
尊敬されて、旅立っていきました。 妹は、そんな母を誇りに思い、
ただただ感謝しているようです。

でも、私は、いまだに母に心から感謝できないのです。
死ぬ間際まで、他人には良い顔をして身近な人間には文句を言っていた
母を人間として受け入れることが、正直、できません。

職場での母の人間性にも、正直、疑問に思うことが多々ありました。
自分の方針に従わない部下がいた場合、その人にも納得して
もらえるように努力するのではなく、その人を左遷することで問題
解決しようとする。重病の母親に会いに行きたいので休みたいと
言う部下に対して「仕事をおろそかにするな」と言って、仕事を続けさせる。
そのくせ、母自身は、自分が病気になると、「もう私はながくはないのだから」
と言って、自分の子供たちに仕事を抑えて友達づきあいその他全てをやめて
自分の看病に専念しろ、と命ずるような人でした。

亡くなった親にこんな感情を抱くなんて、自分でも自己嫌悪です。
母を知る周囲の人間達は、母の私への態度を知らない
(外では、私のことを心配している、ということだけを言っていたらしいので)ので、
私が母とのことがトラウマになっていると言っても、
私が「親不孝者」と非難されるだけでしょう。

私だって、何でも親のせいにはしたくないのです。

でも、今でもどこかで母の基準から自分のことを判断していて、
それに全く当てはまらない自分が駄目人間のように思ってしまっている
ような気がします。

何かを達成しても、母が望むようなことでない場合には、
どこかで「まだまだだ」と思ってしまう。 といって、母が望むような
ことをしても、それは大抵は自分に合わないことなので、疲れてしまうから、
やはり、達成感や充実感は無いんです。 つまり、何をやっても、
自分を受け入れることができないのです。

自分を否定され続けているうちに、自分でも自己否定することに慣れてしまい、
肯定できないでいる。

よく「自分で自分の親になって自分を育てなおす」ということを聞きますが、
そもそも自己肯定意識が低いので、なかなかそういう精神状態に
もっていけないのです。

親との確執があって片方の当事者である親が既に亡くなっている場合、
子供のほうは、どうやってそれを乗り越えていったらよいのでしょうね。
お互いを受け入れられなかったという経験を、どう受けとめて
生きていったらいいのでしょうね。
 

夢さんへ

 投稿者:風花  投稿日:2006年 6月27日(火)18時37分32秒
  夢さん、はじめまして。
ご両親が幼い頃に離婚されて、随分寂しい想いをされてこられたのでしょうね・・・。

心に傷があると、ひびわれたガラスのコップと同じで、いくら水を注いでもいっぱいにはならないんですよね・・・。
ひびが入った所を直すことが出来ればいいんだけど、色々な経験が積み重なってしまっていて、どこにひびがあるのかもうわからなくなってしまう・・・。

コップの水は一杯にはならないかもしれない。けど、そのコップの下に「受け皿」を置けば、あふれた水を受けることは出来ますよね。

お子さんがその「受け皿」にはなってくれませんか?
自立は大事だけど、1人で立てるようになるまで、誰かの力を借りるのは別に悪いことじゃないです。
そして、それがお子さんでもいいと思います。
大人だって(親だって)オロオロするし、1人じゃ寂しいです。
大人だからって、強いとは限らないです。

こう書いてきましたが、難しいですよね・・・。

心の荷物が重くなった時や、寂しくてどうしようもなくなった時は、いつでもここに書き込みして下さい。
ブログも書いてますので、そちらにも気が向かれたら遊びに来て下さい。
最後に夢さんは1人じゃないですよ。

http://plaza.rakuten.co.jp/kazahana777

 

ここにたどり着いた

 投稿者:  投稿日:2006年 6月22日(木)12時52分0秒
  風花さん
はじめまして

NETで 母親愛情欠乏 を 検索して色々な所を読んできたらここにたどり着きました。
息子が24歳、娘が21歳
子供がこんなに大きくなっても、普通に子育てしてきたけど
自分が寂しい

子供達が私から巣立っていって、主人ともうまくいかなくて別居してて

自分が元気な時は何も考えないのに、ひとり部屋にいて外にでたくなくなるといつも寂しくてたまらなくなる。

なんで?って考えてみた。

私は母親の愛情を受けた記憶がないの。
両親は私が幼い時に離婚して、父のほうにいたけど父は姉のほうを可愛がってた。とてもとても。子供心にちゃんと感じてた。

やっぱり私が寂しさを感じるのは、母親の愛情欠乏だったんだな・・・
主人から愛情を感じられた結婚してからの5年間は心も安定してた。
でもそれからは、寂しい 寂しい の連続だった。

今思えば、子育てに追われてる間はまだそれで気が紛れていたんだなぁ

今の私は、自分の居場所がどこにもない って感じるの。

居場所?目標?探そうとする努力?してみたよ。
でもなかなか見つからない。
自分が精神的に自立しなきゃいけないけど、
やっぱり寂しい。
安心して寄りかかれる肩が欲しいよ。
 

こんばんは。

 投稿者:風花  投稿日:2006年 6月 7日(水)22時43分40秒
  >もりちゃんさん
レスが遅くなってすみません。
私の場合、相手を精神的に追いつめることで、自分を追い詰めるという、本当にどうしようもない行動を取っていました。
相手と距離が縮まるほど、怖くなってきて、わざと距離を置こうとするんですよね・・・。
そして、距離が出来たら、自分のせいだと責める・・・。
主人が言うには私も家族間のトラウマが大きいのだろうと思います・・・。
(はっきりしたことは何もわからないので、ある意味性質が悪いですが・・・)

こないだTVで江原啓之さんが
『連鎖を食い止めるには、事実を理解し、本人が心を浄化させるしかない。乗り越える=許せるかどうかです。そしてその材料(事実)を利用して、どう料理するかが大事なんです。完璧な人間なんて1人もいないんですよ』
とおっしゃっていました。

『完璧な人間は1人もいない』んです。人が人である以上・・・。
自分を責めないで下さい。
自分を抱きしめてあげて下さい。
「死にたい」と思ってしまうのは、仕方ないです。こんな世の中だもの・・・。
でも、たとえ、未遂でも実行に移しちゃ絶対駄目ですよ。体も心も傷が深くなるだけだから・・・。

心に溜まったものはここで吐き出していって下さい。
書き捨てでもいいです。ここに書いて、また持って帰っちゃ駄目ですよ(笑)
まず、ご自身をしっかり抱きしめてあげて下さいね。
 

こんにちは

 投稿者:もりちゃん  投稿日:2006年 5月21日(日)10時40分21秒
  こちらでは初めましてですね。
僕が職場に出られなくなってから、もうすぐ半年になります。結果的に退職をしましたが…。
その期間に様々なことを思い巡らせていました。仕事のことだけでなく、あることにハマってしまい大借金を抱えたこと(これもまもなく解決する予定です)…すごく自分を責めていた時期もあり、それこそ「死にたい」と何度も考えました。
先日(とはいえ、2ヶ月ほど前の話)、母親に「あなたがこうなったのはお父さんのせいだ」と言われました。ちなみに彼は僕が5歳の時に母親が再婚した時の父親です。僕は「なるほど」と思いつつ「?」も浮かびましたが、反論すると完全に取り乱しそうだったので、その時は別の話に変えました。
父親には「もっと男らしくしなさい」と母親には「勉強しなさい」と口やかましく育てられてきました。母親は「テストで100点を取るのが当たり前」という考え方の人でした。
いじめを受けてあざだらけになっても泣かず、怒らず、担任の先生にも言わず、とにかく何事もなかったように授業を受け、家に帰って一人でいるときは「いじめられるのは僕のせいだ。僕が変わらないといけない」と自問自答の日々…。
その日々が、僕から感情を失わせたのかも知れません。最近、ふとそう思います。
人を心から好きになれない、いつか裏切られるかも知れない、そう思いながらビクビクしながら生きている自分。
せっかく友達になりかけるのに、最後には遠ざけてしまう。今は人と会うのがすごく怖い。
あまりの孤立感に自殺をしている映像が頭をよぎってしまいます。
子どもの時に経験したことが、自分の中で昇華されずに、僕の心の中に錨を下ろしているのかも知れません。
思ったことをまるで羅列するが如く並べて、ごめんなさい。気持ちのやり場に困っていたので。それでは。
 

気付くということ・・・

 投稿者:風花  投稿日:2005年 6月12日(日)11時34分15秒
  愛し方が間違っていれば、いくら愛されていても意味がないんだよね・・・。
私も子供の頃の記憶が今はほとんどありません。
主人と出会う前は覚えていたのに、ね・・・。
私の場合、主人が必死に育て直しをしてくれました。その結果、過去の記憶はすべて箇条書き状態になり、絵が全然浮かんで来ません。
「あ~こんなことあったよな」とは断片的に思うけれど・・・。

愛情をどんなに注いでくれていても、満足できない。
でも、それは本当に欲しい愛情を得ることが出来ないからなんだよね・・・。
ひび割れたコップにどんなに水を入れても一杯にはならないように、私たちの心も満たされることがないのかもしれません・・・。
時間が経てば経つほど、どこにひびが入ってるのかすらわからなくなって、直す事も出来ない・・・。

けどね
「やり直すことに遅すぎることなんてない」し、
「気付いた時はそれを乗り越える力がついてきたってことや。しんどいけどな」

主人の言葉です。
かものはしさんは弱くなったんじゃない。
時間が経つほど辛くなるのは、気付いたからだよ。
愛し、愛されたいと強く望む自分に・・・。
波の幅が短くなってきたのは、逆に少しずつ自分で乗り越えようとしているからなんじゃないかな。
自分の中で一生懸命精算(整理)しようとしているんだと思う。
それはとてもしんどく孤独で辛い作業だけれど・・・。

そして両目で涙を流す時、それが悲しみの涙ではなく嬉し涙でありますように・・・。
 

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